神社・古墳めぐり / 尾張の式内社めぐり / 國玉神社

國玉神社

式内國玉(くにたま)神社については、諸説あり、従来鎮座地は不詳とされていた。

当社が式内國玉神社に比定されたのはそんなに古くはなく、「八剣社」と呼ばれていた当社が尾張藩の指示によって元治元年(1864)5月に比定されたが、その根拠は不明という。

國玉神社と八剣社の相殿となっていて、神社入り口にも、左右に両社の社標が立っている。

式内社調査報告では、別の候補地として、津島市にある、津島神社の摂社「牛頭天王社」説を推している。

この地域は後記のように、鎌倉時代でも「水田と未開の荒野」ということで、古代に神社があったのかどうか、疑問がある。

 

【所在】 

中川区富田町大字万場字郷内中1131に鎮座する。

平凡社刊「日本歴史地名体系 愛知県の地名」によると、古代のこの地は、海部郡の広大な富田庄にあり、鎌倉時代末期の絵図によると、庄内川下流に下流域に形成された三角州の先端に開かれ、低湿な水田地域と未開の荒野からなり、南辺で海岸線に接していた。

近世のはじめ、東海道の脇街道として佐屋街道が開け、庄内川の西にに万場宿が置かれた。

【祭神】 

祭神は、大物主命、天照大神、草薙剣御霊・日本武尊の四座が祀られている。

日本武尊・草薙剣御霊・海部郡は、八剣社当時の祭神であろうから、國玉神社の祭神は、大物主大神一座と考えられている。


本殿向かって左側に、神明社(天照大神)と白山社(白山比咩神)が祀られている。

左の社に「鏡」が祀られているので、これが神明社と思われる。


本殿向かって右側に、春日社(天児屋根神)・津嶋社(素戔嗚尊)が祀られている。



【社殿】 

 

社殿は、南南東向きに建つ。

拝殿・幣殿・祝詞殿・本殿と並ぶ。

本殿は流造りで千木・鰹木はない。

本殿の左側に、保存樹の「タブノキ」の大木がある。

 

拝殿の前面に「國玉神社・八剣社合殿」の額が掛かる。

 

 銅板葺きの屋根には、神紋ではないような、鉾を表しているような図案が見られる。

 

本殿の蟇股には、「雲」の飾りがつく。

 
 

【参拝記】 

2011年 11月7日午後、素晴らしい秋晴れに誘われて、庄内川下流、昔は河口であったろうと思われるところに位置する「國玉神社」まで西区の実家からまた自転車ででかけた。

庄内川を新大正橋で渡って、堤防の道を南下、行きは追い風で快適なサイクリングであった。

万場大橋を過ぎて堤防から富田町万場の集落へ下りると、集落の中に「國玉神社」はあった。


本殿西側のタブノキの巨樹が印象的だった。

 

帰りは向かい風でヒイフウいいながらペダルをこいで、往復約2時間の運動になった。